子育てと教育

イヤイヤ期・かんしゃくの対処法でやさしい子に育てる

これは私が反省し、もっと早くに理解しておけばよかったと思うイヤイヤ期や感情のお話です。

叱る悪循環

我が家の長女は現在小3で元気いっぱいですが、3歳から6歳くらいまではとにかく子育てに悩みました。(そのおかげで本をたくさん読み、こちらのサイトもできたので、今となっては良い経験でした(^^;;)

少しでも思い通りにならないとすぐにかんしゃくを起こし、なかなか切り替えができず、こちらも色々対処したつもりでしたが、悪循環が続きました。
子どもがかんしゃくを起こす→叱るorしばらくほかっておく→治らない→親がイライラのピークに達する→怒る泣くでひどくなる→疲れる→さとす→寝顔を見て後悔→これの繰り返しの悪循環でした。

頭では理解しているつもりでも、ぐずぐずが続くと親も大人になれず感情を抑えられなくなってしまいます。

よくビジネス本でもある、アンガーマネジメント(怒りの感情と上手に付き合うための心理トレーニング)に関する本も読みましたが、私の場合、子育てでなかなか実践できませんでした(^^;;

子育ての前提として理解しておくこと

情報過多な時代において、親は、ますます「良い子に育てなきゃ」という常識にとらわれてしまいます。
大人になってから思いやりのある人に育つためには、生まれてきた時から子供時代ずっと思いやりのある子どもでいることが必要だと思い込んでいるところに大きな誤解があるようです。

最初に子どもを育てるにあたって、「子どもは足りないところがあるのが当たり前で、親に苦労をかけるものだ」ということを理解すること。子どもは幼児の時代には自己中心的で親の迷惑などみじんも考えずに、自分の身体の中から出てくるエネルギーのままに感情を表出することが「健康」だということ。

キーワードは共感。「子どもの感情を育てる」重要性を理解する。

子どもがぐずって泣いている時(不快な感情のエネルギーに支配されている時)に、抱くことが、感情の発達のために大事ということ。つまり子どもがちゃんと自分の感情を感じ、その感情を大事にしてもらえることが成長するためにとても大事なのです。

感情は身体の中を流れる混沌としたエネルギーにすぎないが、言葉と結びつくことによって、他者にそれを伝えることができるようになる。このプロセスを「感情の社会化」という。
「うれしい」という感情が社会化されている人たちの間では、「うれしい」という言葉を使うと、その感情があらわす身体感覚を推測することができる。それによって、共感することが可能になる。
子どもが身体で感じている感情を親がきちんと察知して適切な「言葉」で名づけてあげるプロセスを通じて、子どもは自分の感情を「言葉」に置き換えることができる。
引用文献:「ちゃんと泣ける子に育てよう」 大河原美以

これはとても納得のいく説明でした。

最近、NHKスペシャル シリーズ「子どもの”声なき声”」第1回「いじめと探偵〜行き場を失った”助けて”〜」を観ました。
いじめをする子は、なんらかの問題で、この感情の社会化がうまくできず、怒りや悲しみや不満や嫉妬や憎しみなどのネガティヴな感情をいじめるという行為で表現してしまうのではと感じました。

感情は身体の反応であり、生理現象であるため、それを我慢させたら病気になるのと同じなのです。(トイレに行きたいのに、それを我慢させたら病気になってしまうのと一緒のこと。)

「感情を育てる」ことによって、安全・安心の感情を自分の身体の中に育てられている子が、挫折に強くたくましい子であり、強さやたくましさがあってはじめて他者に優しい思いやりのある人間に育つことができるのです。

「泣いている時に抱きしめること」が大事

例えば、子どもがおもちゃを取られて泣いてしまった時に、
「そんなことですぐ泣くんじゃないの。」と言うのではなく、「おもちゃを取られて悲しかったね。」と感情を言葉にしてあげて共感して抱きしめてあげる
親も気持ちに余裕がないと、それだけ単純なことがなかなかできないのですが、そうすることで、意外と子どももすっきりして、ぐずぐずが長引かないと実感しています。
大人でも否定されるより、ただ共感してもらえるだけですっきりしますよね(^^;;

親の迷惑をかえりみないのは、生きる力がある証拠。不快な感情には共感してフタをしないこと。
これを頭に入れて行動するだけで、のちの子育てが絶対楽になると実感しています。
強さと真のやさしさを持って育ってくれたらと思います。

  • 「ちゃんと泣ける子に育てよう〜親には子どもの感情を育てる義務がある〜」|大河原美以

良い子に育てなくては、というプレッシャーをより高めてしまわないように、親の気持ちに寄り添った対話形式のとてもわかりやすい本です。


余談ですが、

最近、長女に、「なぜ、りんごはりんごという言葉になって、誰が決めたの?」と質問されました。
言葉は誰が決めたというより、社会でコミュニケーションをとるための共通言語として進化の中で自然と作られてきた歴史があるのかなと感じました。感情と言葉の関係も奥深いですね。

ABOUT ME
Lifessence
1980年生まれ、2児子育て中のワーキングマザー。 アパレルデザイナーとして10年働いた後子育て両立を目指し、独学でライフスタイルに役立つ資格を取得しブログを立ち上げる。日常の暮らし(ライフ)の感性(センス)を磨き、本質(エッセンス)を探り、質の高い日常を送ることを目指し執筆中。